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中内眼科クリニック

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院長雑記

三村先生 さようなら

2024-10-20  カテゴリ:

 昨日、土曜の外来が終わったあと院長は新神戸へと出かけました。
僕の恩師の三村治 兵庫医大眼科元教授が7月20日に亡くなられた後、さようならの会がクラウンプラザホテルで開かれたのです。参加者は120名を超える多さで、三村先生が、沢山の先生方に慕われていた事を表すイベントとなりました。
僕の人生で、教授の死に出くわすのは、これが二回目です。
 一回目は、田野保雄 阪大眼科教授が亡くなった時のお葬式でした。その頃はまだ、権威のある人は、大きな告別式を行うことが良いとされていた時代だったので、千里山の巨大な千里会館で開かれ、1000人規模のお葬式だったことを覚えています。田野教授は60才の若さで亡くなりました。しかしながら、すでに日本の眼科界のトップになられていました。網膜手術の専門家でアメリカにも進出されていて、グローバルワイドな先生でした。偉大なるドンでしたので、巨星墜つと言う感じでした。僕は松山赤十字病院にいたのですが、帰阪して参加しました。
三村教授は73才で亡くなったのですが、やはりその眼科人生で、臨床は、やりきったと言えるところまで来られていたと思います。神経眼科の専門家でした。兵庫医大が、単なる私立大学の眼科ではなく、日本でも有名な私立の眼科という地位を得られたのは、三村先生のお力によるものです。
 昨日、会に来られていた不二門尚 元阪大第二眼科(感覚機能形成学)教授が、僕の阪大大学院の卒論を指導してくださった先生なのですが(この先生の専門が神経眼科で三村先生と絡んでいる)、お年をお聞きししたところ、70才ということでした。まだまだお元気でしたので、ほっとしました。この3人の教授が、僕の人生を大きく動かした教授方です。
今と違って、20年程前は、医局の力がとんでもなく大きくて、医局に所属していないフリーの医師なんて、吹けば飛ぶような存在でした。よって、どこの医局に所属しているかということが、その先生の力にもなっていたのです。逆に、そのバックグラウンドが、お互いのプライドを刺激することになり、上手くいかないこともありました。まるで、ヤクザの組のような感じです。いまはヤクザさんも組の力が減じて、半グレと呼ばれるフリーな方が多い時代ですよね。医者も同じようなものです。
 僕は、神戸大卒業の阪大入局、阪大大学院卒業後、シンガポールナショナルアイセンター経由の兵庫医大所属眼科医という廻りくどい経歴を持った医者なので、知っている眼科Drが数多くいます。この世界、知り合いが多いほうが仕事の軋轢もなく、プレッシャーも少なく仕事できるので、本当にいろんな経験をさせてくださった神様に感謝いたします。
昨日は、会場で、ひさしぶりに阪大眼科No.2の松下賢治先生にもお会いして、お話させていただきました。
 昨日は、朝から雨がシトシト、昼間にドバッと降って、三村先生を送る涙雨となりました。そのあと、大風が吹いて、気温が一気に下がりましたね。僕は森松先生と二次会に行ったあと、酔った勢いで上機嫌で床にごろ寝してたので、思いっきり風邪を引いてしまって、今日は鼻水との闘いでしたが、これを書いている21時頃には、少し水も止まってきました!
 夏が長くて、秋が短くなって、急に冬になる。季節の二極化が進んでいます。日本の美しさを司る四季が無くなる、こんな事って、枕草子の時代から無かったことでしょう。もとに戻ってほしい。皆さんも、衣替えを早めに済ませて、暖かくして休んでくださいね。
  大風で散った街路樹の葉
今日の写真は、こないだの満月。今年一番のBIG MOONだったということですが、曇っていて、その迫力はあんまり分からなかったです。ただ、牡羊座の満月なので、これから新しい時代が始まるというシンボルムーンでもあります。
いい時代が始まったらいいですけどね。
Will you marry me? by清 竜人 25  こんなユニットが存在したこと自体知らなかった。もう一回再結成してほしい。

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